対価を得るという話ー研究者さん、お金は降ってきませんよ。ー

国立大学法人になってから、各大学でお金を集めようと必死だ。
そのうちの一つに大学基金がある。
東大さんなんかは200億円ぐらい集めている。


基金というのはとてもわかりやすい。
人の好意に訴えてお金をただただ巻き上げるだけのものだ。


うちの大学はこんなにがんばっています。
うちの卒業生はこんなにがんばっています。
あなたもうちの大学にお世話になっているでしょ??


金出せYO!!!


でだ、今、事業仕分けの話を受けて、若手の科学者をつぶすのか!とか、基礎研究はいらないと思っているのか!!!


その他にも、


きちんと、国民の皆様に科学の素晴らしさを伝えよう!!!
研究者たちももっと低コスト意識を持とう!!!
制度を変えて無駄をなくそう!!!


だとか、いろいろ意見がでているわけです。


博士って素晴らしい!!!の!!!!


って、いうとっても前向きな意見もある。


その一つ一つの思い、活動それ自体の素晴らしさは否定しませんよ。
前向きで立派だと思いますから。


けど、それで、人の財布がゆるむのか?


って話です。


正論を言っていれば、国民が感激して、なんでもかんでものってくれるというのならば、今の政治がおかしくなる理由がないでしょ???


なんで、東大さんが200億円も集めれるのか?
そりゃ、東大ってブランドという背景があり、きちんと脅し情に訴えているからですよ。


なにより、


きちんと、人の情や好意を金に換える、大学基金という仕組み


を、きちんと機能させているからですよ。


だとすると、国民に向けて、科学の素晴らしさを訴えて、理解してもらって、その次の仕組みをどうするのかという所をきちんと考えないといけないと思うのですよね。


ハヤブサ騒動がありましたけど、結局、JAXAに金は流れていません。
日本の寄付制度が欧米に比べて云々ってありますけど、東大は200億円集めています。
東大だからということはあるにしても、それでも、研究や教育に対して国民からお金を巻き上げる事の可能性をきちんと示しています。
(東大一極集中については言いたいこともあるけど、ここではふれない。)


今回の政策コンテストから事業仕分けの流れを受けて、文部科学省がなんで失敗したのかってのは、簡単で、
文部科学省は社会的な正義なものには絶対お金はつけるもんでしょ??って読んだわけですよ。
政策コンテストの指示が高ければ、お金が来るでしょって、たくさん意見を集めたわけですよ。
ハヤブサ騒動とかで、科学に対して国民の目線はあたたかいよねって読んだわけですよ。



大失敗ですよ。
その理由は、「政策の趣旨をはきちがえているから」で一蹴されたわけですよ。
馬鹿かと。
担当者は白装束で全国の大学を回って、土下座しに来い。


これでわかるのは、人から金を引き出そうとするのは、正論だけじゃ無理なんですよ。
僕も商売しているわけじゃないですので、偉そうな事は言えませんが、なにかしらもっと地道で、もっと低いところから、人の心をくすぐるような事をしないとお金はでないんだと思うんですよね。


けど、なんか今の基礎研究者達の意見とかって、
「こんなに素晴らしいことやっているのに、なんでお金つかないんだムッキー!!」
と言っているにしか思えない。


いやいや、遠く離れた町で空き缶拾うのも、どっかの大学で試験管振るのも、部外者から見たら、どちらも自分に関係ないという事では一緒だと思うんですよね。

だからこそ、アウトリーチ活動は重要だし、その流れ自体は否定しませんけど、その先にきちんと「回収」するというプロセスをどう構築するか考えないと、ただ単に、科学好きが増えるだけですよと。


例えば、学術会議に基金の受け皿を作るとか、アウトリーチ活動のついでに署名活動をして、政府に届けるとか、科学者たちそれ自体が医師会のようにロビー機能を持つとか、


そういう事をしないと、お金は降ってこないでしょうさ。


Capetaって、レース漫画でライバルの源が、レース後に疲れた体に鞭打って、スポンサーにレース結果の説明をしに行くシーンがあります。
それは確か源が中学生の時のシーンです。中学生の時から、プロのレーサーに対してスポンサーと対峙するとはどうあるべきかという事を理解している源すげーってシーンです。
あくまで、漫画ですけど、どうやって自分が好きな事に対して、他人から金を得るかっていうことの重要さを示唆するシーンだと思うんですよね。


なんというか、大所・高所・きれいごとではなく、お金を得る事の浅ましさをもっと自覚してもいいんだと思うんですよね。
いや、自分は税金をもらっているので、国民に還元したいといつも思っているよ!!ってみんな言うだろうし、報告書もきちんと書いているよ!!
これから、インターネッツで発信するし、一般向けのセミナーもたくさんするよ!!!って言うんでしょうけど、


そんなきれいな活動ではなくて、


関係企業、卒業生のところに身一つで行って、


自分の研究にお金を1千円でいいからください。
奨学寄附金ください。


と、頭を下げてこいと。


それがベストな仕組みとは思いませんけど、もっともっと、回収の仕組みを考えないとと思うのですよ。


なんか、そこのところの議論がぽっくり抜け落ちているように思うのですよ。

特許制度と産学官連携-研究者や大学とか優遇してどうすんだろ-

産業構造審議会 知的財産政策部会 特許制度小委員会 報告書「特許制度に関する法制的な課題について」(案)に対する意見募集

特許制度改正の方向まとめた特許制度小委員会報告書案公表、意見募集

産業構造審議会知的財産政策部会特許制度小委員会


実は今回の意見案には、大学に関係のある点が2点掲載されている。


ユーザー利便性の向上の案として


1)大学・研究者等にも容易な出願手続きの在り方
2)グレースピリオドの在り方

の2つがあがっている。


この内容を読むと、はあって思う。

基本的に特許権とは排他的独占権、つまり当該技術に関して他者から独占できる権利である。
ディフェンス的に、他者に自社の技術を使わせなかったり、他者の類似技術と自分の技術の違いを明確にすることで、他者からの攻撃に備えたり、
オフェンス的に、自社の技術を使っている他者に対して攻撃したり、使いたいと思っている他者にライセンスして対価を得たりというものだ。


で、大学や研究機関というのは基本的に自らでは事業を行う事がない。
将来はわからないけど、当分は○○大学第一工場なんてのはできないだろう。
また、企業さんが特許侵害しているかどうかの調査なんてどうやって行う?そして、裁判できる??


ならば、企業さんなり事業したい人が望むような技術を、特許をつけてお渡しするのが一番という事だ。


だ・と・す・る・と、


研究者のために容易な出願にしたせいで、大した実施例ものっておらず、明細書も曖昧で、権利範囲もやけに狭くてふにゃふにゃで、
グレースピリオドを適用してしまっているせいで、大きな市場の一つである欧州で権利がとれない特許って、


つ・か・い・た・い・で・す・か?


これにプラスアルファ、サイエンスとして素晴らしいけど、事業という点でみるとまだまだ行く先が長いというのもつくんですけどね。


基本的に特許というのはその成り立ちから含めても、企業さんのものであって、研究者達のものではない。
ただ、最近、日本で言われているのは、いざ研究者達の先駆的な技術を使おうと思っても、権利的に守られていないから、使うに当たって他者の模倣等を防げないから、大学が特許をとっていれば、企業も安心して使えるよー!!
また、米国では特許のライセンス収入が大学の収入支えているから、日本の大学も特許を取れば企業さんからお金もらえるよー!!!、っていうライトなサクセスストーリーに基づくものだ。


そのストーリー自体は否定しない。一面では正しいと思うし、実際に収入をあげている事例もあるからだ。
それに、今まで菓子折り一つで、先生から話を聞いて、勝手にいろいろと自社技術にしているところもあったけど、そういうこすっからくて頭がよいところから、お金を巻き上げる正当な対価を得ることができるようになったのは、「研究者の知恵」に対して正当な値段が着くことになり、良いことだと思う。
やっぱり、一つの物事をとことん考え、追いつめ、洞察している「研究者達の知恵」というのは、常人にとっては画期的であったり、飛躍する可能性を与えてくれる素晴らしいものだし、それに値段がつくようになったのは個人的には良いことだと思っている。


ただ、特許制度となると別だ。
特許制度とはあくまで企業のものだ。研究者達のものではない。
現行の知的財産サイクル、イノベーション戦略の中で、日本の特許制度は日本の企業が飛躍するために必要なものであるべきだ、と個人的に思っている。
だとするならば、大学は純粋なユーザーだろうか。
どちらかというと、企業に対して特許を供給するメーカーだろう。


な・ら・ば、

大学に対して有利な特許制度に変更する必要なんて、どこにあるのだろうか。
大学に対して有利な特許制度に変更するせいで、不必要に脆弱な特許が生まれてくるのではないだろうか。


全ての大学の研究成果を特許化する必要はないだろう。
研究分野や研究成果にとっては、権利化しても権利存続期間の20年間では十分にペイしない可能性のものもあるだろうし、
ある先生の一連の素晴らしい研究成果があるとしても、アーリーステージ過ぎるものは、権利化せず、実用化ステージにのりそうなものだけ、権利化するという戦略も考えられる。その逆もしかり。
ただ、現行の制度改正の方向は、そういう細かな戦略動向の前に、
国家制度として脆弱な特許を生み出す可能性を高めているのではないか、そういう制度改正なんじゃないかと思い、はあって思うのだ。


特にグレースピリオドが残ることは、研究者からすれば、
「発表しても半年以内なら出願可能なんでしょ?」
って意識になるだけなんだと思う。


本当は、
「発表前に出願するのが原則だけど、たまたま救済措置があるんですよ?」
ってことなのに。


個人的にはEUのように、グレースピリオドなんてやめてしまえばいい。
その方が、研究者にとっても迷いが少なくなると思う。
分野的に特許化した方がよさそうな研究成果なら、出願してから発表すればいいし、
逆もしかり。
選択肢がわかりやすくなる。


中途半端に使いにくい制度は廃止した方がいいと思うんだけどなあ。
正直、海外の学会に対し、なんか必要書類が発生した時に、アポ取るのってのはストレスなんだけどなあ。
おれらはユーザーじゃないのかなー。

事業仕分けの話を受けて

今こそ合理的な基礎研究体制への転換を:社会への説明責任を果たし、理解が得られるその日まで頑張れるようにするために

上記のブログを読んでいて思ったこと。

たぶん、斜陽期に入っている先進国日本にとって、基礎研究への投資は、効果が
見えにくい分、どんなに改善案を出しても抵抗されるものだと思う
究極的な事を言えば、産業界に輩出する人材への教育ができる程度の量だけの基
礎研究者が残っていれば、それで国家としてはいいわけなんだと思う。
それは、本人の能力とは関係なく、世代的にポストが詰まっているといった不運
な人がいたとしても、そのポストが空いたその時点でポストが埋まりさえすれ
ば、国家としてはいたくもかゆくもない。
とすれば、現時点で定職のポストがない人たち全員への支援なんて必要ないと
考える。
ポストを持っていない時点で、国家が行う基礎研究には不要な人材ということに
なるのだろう。


そうやって、裾野を狭くすることは、長期的な国力の衰退につながるのだろうけれども、
今は明日の借金の資金繰りに精一杯だから、明日の借金を返すために基礎研究が
何をできるの?という議論に終始するはず。
そして、その答えは基礎研究側には出せない。だって、基礎研究って、極めて個人的な興味と関心に基づき、明日の飯の話をするものではないんだから。そういうものだもの。


だとすると、今、日本にいるポスドクの皆さんはむしろ日本に見切りをつけて、
それこそ集団で、BRICS等へ移民することを考えた方がいいのではないだろうか?
そうやって、オンリー日本の基礎研究があるならば、その火種をきちんと疎開させる必要があるのではないか。
でないと、全世界的の基礎研究のパフォーマンスが落ちるのではないか。

>>高コスト体質を根本的に改め、低コストで合理的な体制に転換して、社会への
>>説明責任を果たして社会からの理解を得られる日まで何とか生き延びて頑張れ
>>るような「持続発展可能な基礎研究体制」を打ち立てるべきである、


絶対に理解されないと思う。
今日は100万円の予算付けたけど、明日は10万円にするからどうにかして、という問いが基礎研究側に突きつけられているのであり、
低コスト体質にしてパフォーマンスをあげて、100万円分で200万円分
の効果を出すから、100万円のままにして、っていうのは通用しないと思うのだ。。


むしろ、これだけコストを削減できるから、事業費は今よりも削っていいけど、
人件費は今のままで、という戦略を、数字を出して説明しないと無理だと思う。



だが、そもそも論として、「基礎研究」にはいくらかかるのだろうか。
常に、「今」より削減するのは、危ない!!という議論しかない。
30年前に比べたら、研究者ポストも増えているだろう(正確な数字はわからないが、大学が増えているわけだから)。



私が学んだ歴史学の分野だと、もし人件費別の事業費だけで1千万円もついたら、ものすごい話で、立派な史料集と論文集ができるだろう。
例えば、ある地方の旧家所蔵の1万点単位の史料の整理とその研究といったものすごい地味な研究が飛躍的に進展するだろう。
だが、一方で、本当に最先端の実験物理なんてしている人や、医療研究なんてしている人にとっては、1千万円なんて、機器をポンと買って終わりかもしれない。


それらの分野も全く違う「基礎研究」に貴賎をつけれるのだろうか。
そして、日本の国量に見合う「基礎研究」のボリュームとはどの程度なのか。
各分野に必要な人数と予算って?
そもそも、最低限のレベルってなんだ?PCと机があればいいのか?
だれもわからないだろう。
「研究」だけに限るなら、大学を廃止して、超大型研究所に1万人ぐらい研究者をぶちこめば一番効率よく進むのではないか?googleみたいにさ。


今、必要なのは、国家的な閉塞感を打破という課題に対して、各分野・職種の人たちが何ができるのかという事を考えることだ。
それは、政治家や官僚だけでなく、研究者も市民も一緒に考えなくてはならない事だ。


だが、基礎研究者達は、そういう社会的課題には答えないだろう。
あくまで、個人の興味関心が社会的課題とリンクした場合のみ力を発揮するだろう。
そして、社会的課題ばっか解決する人たちだけが研究者になったら、それこそ歪んでいる世界だ。


だとするのならば、基礎研究者達が自分たちの保護を言うには、やはり総量の数字のみをあげるしかない。それはきっと生活保護に近いものだ。
基礎研究者らしい研究者に、教科書と他国が行う最先端研究を解説できる程度の研究と自己研鑽を行わせる程度の予算額をはじきださないと、そこからでないとおそらく説得ある説明はできない。
そして、それ以上の投資ならば何ができるのかを説明するのだ。


YES・NOだけではない。その間の過程の濃淡こそが重要だ。


研究のおもしろさを伝えたって、意味はない。単なる科学好きが増えるだけだ。
2chでハヤブサが盛り上がったが、彼らが大学に寄附してくれただろうか?
伝えるだけでなく、回収するプロセスも含めて、プレゼンテーションしないといけないのだ。


そう、基礎研究者は中小企業の社長なのだから、ちゃんと銀行に対し再建策を伝えるべきなのだ。
伝えれない中小企業は、世の中が悪いといいながら、恨み節でつぶれるしかないだろう。

産学連携に関する違和感

大学の産学連携に関する部署にいるわけだが、是非がつかない問題がある。
それは大学が研究成果を金に換えることの是非ではない。
今のこの国の財政状況を考えると、国立大学とはいえそれなりに経営努力は必要だろうし、赤ん坊のように「国」の言うことに従っているだけではなく、せめて中学生レベルには自分の考えというものを持つべきなのだと思っている。

金に換えることは仕方ないことなんだとわりきっている。

自分の中で答えがつかないのはもっと根源的な問題だ。

ある先生が中小企業と共同で研究している研究成果とその特許に可能性があり、それなりに大きな市場のニーズに応えそうだという話があった。
しかも、その先生もできるなら自分の研究成果が世の中に広まって欲しい、売られて欲しい、研究費も削減されているし少しでも収入になるなら嬉しい。

ならばと、というわけで産学連携のコーディネーターがどうしたら、この研究成果が広まるかの戦略を先生と相談しながら立てた。
それは、今の研究成果はまだまだ卵の域をでていない。
タッグを組んでいる中小企業と一緒に、まずは小さな試作機を作り、そしてそれを展示会に出したりして市場の反応を見ながら、研究をもっとブラッシュアップし、国等の補助金も申請したり、大企業と開発研究を組んだりしつつ、今よりもスピードアップしながら育てようという戦略だ。

戦略というにはおこがましいが、その先生の研究環境(院生がいない)とかを考慮にしながら、出口も見据えていていた。

ここで、問題が起こる。

タッグを組んでいる中小企業が、試作品ではなく完成機を作って市場に打って出たいと言ってきたのだ。

それはそれで、中小企業としては、資金繰りの事もあり仕方ない話だ。
完成機といっても、今の研究状況では、市場を揺るがすようなことはなく、小さい儲けしか出ないだろう。
ここは中小企業の顔も立てつつ、完成機=次のステップのための試作機としながら進めていこう。
と、誰もが思った。

だが、ここで、先生が返事を保留した。
優柔不断になったというか、行動がとまった。

学会に行き始めたのだ。
今の研究成果はかなり先駆的で、論文も評判がよく、学会受けもしており、招待講演も多く、海外の学会にはせ参じまくっている。

一方で、中小企業はこの戦略でいいのか、早く返事を欲しがっている。
そりゃそうだ、開発は一歩でも早い方がいい。その分、市場に早く出れる。
先生の援助がなくては開発は難しいところもあるので、先生が本気がどうか早く知りたがっている。

けど、先生からの連絡はなく、中小企業はコーディネーターに八つ当たりのように怒鳴っている、そういう状況だ。


ここで感じるのだ
そもそも、研究者という輩達は、自分の研究成果を世の中に広めたいと、本当に思っているのだろうか、と。
学会はそれなりにインパクトはあり、世の中への広報といえるだろう。
しかし、それはあくまで業界向けの広報であり、
本当に世の中に広まったというのは「製品化」して「市場に投入」された時だろう。
いくら、新しい技術でも、使われなくては広まった事にはならない。

もちろん、大学は自分達で事業化する事はないし、研究・教育機関であるので、そこまで市場にこだわる必要はない。
しかし、国立大学法人になってからは法律で研究・教育と「社会貢献」が義務付けられ、象牙の塔というわけにはいかなくなった。

だからこそ、この先生も研究費の減少というさしせまった問題もあるだろうが、自分の研究が製品化されることを希望していたはずだ。

そして、それを支援してくれるパートナー企業も見つかっている。
後は、パートナー企業との連携を蜜にしながら、目標に向かっていけばよいはずだ。

だが、そのスタートという地点で、学会活動。
学会シーズンとはいえ、今まさにプロジェクトをはじめるという時に当事者が日本にいなかったり、連絡がとれなくなる・・・・。
象牙の塔にこもりたがる研究者ではなく、それなりに世の中に広めることを熱く語った先生だからこそ、この事態はあきれてしまった。


思うのだ。
研究者という人種はやっぱり自分の研究を高めていくことが最優先の人種であり、広めるということは2の次、3の次なのだろうと。
今、10億円をかけて市場用に改良しましょうと言うよりは、100万円で10年後の新しいことしましょうに惹かれてしまう人種なのだと。

だとしたら、なんでそこまで義務的に世の中に広めないといけないのだろうか。
財政問題はあるにしても、そこまで当事者達の嫌がることを無理やりさせなくてはならないのだろうか。
研究者達がしたくないことを、政策として推し進めていく必要って本当にあるのだろうか。

じゃあ、産学連携ってなんなんだろうか。
研究者の育成において、産学連携って軽視されている現状もある。
そして、そんな研究者が義務としてしか感じないようなおれの仕事はなんのためにあるのだろうか。
おれの給料って無駄金??

そんなことばかりを感じてしまうのだ。